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東京地方裁判所 平成6年(ワ)18278号 判決 1996年3月13日

原告

榎戸昭憲

被告

乃木崇介

主文

一  被告は、原告に対し、三五万円及びこれに対する平成三年二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一二分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、四三九万五七五〇円及びこれに対する平成三年二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  事故の発生

(一) 日時 平成三年二月二三日午前三時ころ

(二) 場所 東京都江戸川区江戸川六―三八先路上

(三) 加害車 被告の運転する普通乗用車

(四) 被害車 原告が所有し、訴外畔蒜輝行(以下「畔蒜」という。)の運転する普通乗用車

(五) 事故態様 被害車が、前記道路左側に設置された防護壁に衝突して横転し、大破した(以下「本件事故」という。)。

2  畔蒜に対する金銭の支出

被告を被保険者とし、加害車に付保されていた自動車保険の保険者である日本火災海上保険株式会社(以下「訴外会社」という。)は、本件事故が被告の運転上の過失に起因するものと判断し、畔蒜を被害車に係る損害賠償請求事務に関する権限者と考え、被告を代行し、畔蒜の代理人である山本和明(以下「山本」という。)との間で示談契約を締結して示談金を支払つた。

二  争点

1  被害車の大破に対する加害車の責任と被告による過失相殺の主張

(一) 原告の主張

(1) 本件事故は、被害車の対面する信号が赤表示であつたため、畔蒜が、それまで走行していた前記道路(以下「本件道路」という。)の中央寄りの車線(以下「第二車線」という。)から防護壁寄りの車線(以下「第一車線」という。)に移行しながら停止するために減速したところ、被害車が加害車に追突された(以下「追突事故」という。)ために押し出されて防護壁に衝突して発生したものである。

(2) 原告と訴外会社との間で本件事故による自動車保険金の填補請求権の存否が問題となつている別訴(東京高等裁判所平成五年(ネ)第三二二四号)では、訴外会社は過失相殺を主張していないにもかかわらず、本件でその旨主張するのは禁反言に該当する。

(二) 被告の主張

(1) 追突事故の存在は否認する。

(2) 仮に、追突事故が存在したとしても、本件事故は、本件道路を高速度で走行する畔蒜が、本件事故現場付近に差しかかつたときに、初めて第二車線の前方に訴外東雲物流サービス株式会社所有の車両(以下「訴外車」という。)を発見するに至つたので、訴外車への追突を回避するべく左に急ハンドルを切つたところ、そのまま防護壁に衝突したことによつて発生したものであり、本件事故は、畔蒜の徐行義務、前方不注視に起因するところが大であるから、相当程度の過失相殺をすべきである。

2  原告の損害額

(一) 車両損害 三五〇万円

(二) 代車費用 八七万円

(三) レツカー代 二万五七五〇円

3  損害の弁済又は善意弁済

(一) 被告の主張

被害車の損害については、畔蒜が事故処理等の権限を原告から付与されているところ、本件保険会社は、その代理人である山本との間で示談契約を締結し、それに基づいて示談金を支払つているから、損害賠償債権は消滅している。

仮に、畔蒜に右権限がなかつたとしても、<1>畔蒜が自らの名義で被害車につき自動車保険契約を締結していること、<2>畔蒜は原告の配下にあること、<3>畔蒜自身が本件事故後被害車に関するレツカー代を支払つていること、<4>通常、所有者でなければできない車両損害に係る委任状を自ら作成して提出する等、損害賠償請求権者らしい行動をとつていること、<5>被害車の登録名義は、解散しかつ代表者等関係者の所在が不明な株式会社コツクフーズ商事(以下「コツクフーズ」という。)のままとなつており、被告の損害賠償に関して代行する地位にある訴外会社の担当者の埜下忠良(以下「埜下」という。)が真の所有者が誰かを判断するに当たつては前記のような事情を考慮することもやむを得ないことからすると、埜下が畔蒜及び同人から授権された山本を損害賠償債権の準占有者であると信ずるにつき正当な理由があるから、前記示談金の支払によつて右債権は消滅したというべきである。

(二) 原告の主張

被告の前記主張は争う。

第三当裁判所の判断

一  本件事故に対する被告の責任と被告による過失相殺の主張

1  本件事故の態様と被告の責任

甲一〇、一四、一六の1、2、一七の1ないし11、乙六ないし八、九の1、2、証人吉田光寛(以下「吉田」という。)の証言、被告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、南葛西方面と一之江方面とを結ぶ通称環状七号線の道路(本件道路)の一之江方面に向かう車線(以下「本件車線」という。)上であり、新川大橋の中央部から一之江方面側に約一三〇ないし一四〇メートル程度離れた付近の左側面に設置された防音壁付近の路上である。本件道路は、新川大橋の中央部分が盛り上がつた形状になつているため、本件車線を走行する車両は、新川大橋の手前約一〇〇メートル付近から上り坂を上り、橋の中央付近で頂上に到達し、そこから下り坂を約一六〇メートル程度下つていく走行をすることになる。下り坂を下り終えた地点には、江戸川六丁目交差点(以下「本件交差点」という。)が設置されているため、本件車線の対面信号が赤表示である場合には、同車線の進行車両は、前記下り坂を下り切る手前で停止して信号待ちをしなければならない形状になつている。本件道路は、時速六〇キロメートルの速度規制がなされている。

(二) 新川大橋上における本件車線は、基本的には二車線走行となつているものの、下り坂の中央付近で、本件交差点を右折する車両のために右折専用車線が設けられているため、本件交差点手前では三車線となつている。

(三) 本件車線は、新川大橋を超える構造であるため、同車線を走行する車両にとつては、新川大橋の中央部の頂上を超える付近に達した段階でようやく、本件交差点の存在や交通事情等、橋の向こう側の状況を直接視認することができる。もっとも、新川大橋の頂上付近には、本件交差点の対面信号の表示を予告する信号が設置されているため、同車線を走行する車両の運転者は、本件交差点の対面信号の表示内容を予め認知することは可能である。

(四) 被告は、本件事故現場から約一キロメートル手前で、被害車が左後方から割り込んできたので危ないとクラクシヨンを鳴らしたが、新川大橋から数百メートルかそれより手前のところで対面信号が赤になつた際、畔蒜は被害車を止めて後方の加害車の方に向かつてきて、被告が開けた運転席のドアをいきなり蹴つたために、加害車のドアのガラスが割れてしまつた。畔蒜はすぐさま被害車に乗つて逃走したため、被告は、すぐに被害車を追跡し始めた。両車両が走行したのは、本件車線の第二車線上であり、そのときの速度は時速約一〇〇キロメートルにも及ぶ程度であり、両車両の車間距離は一〇メートル以内でかなり接近した状態であつた。新川大橋を通り頂上を越えて下りに入つた直後に、被害車が急に第二車線から第一車線に車線変更したため、被告は、初めて前方の交通状況を直視することができたが、そこで発見したのは、本件交差点手前で信号待ちのために停止しているトラツクであつた。加害車は急制動措置も間に合わず、トラツクに追突する結果となつた。被害車は、第一車線に安全に車線変更することができず、前記事故現場の左側方の防護壁に衝突するに至つた。事故直後の被害車は一八〇度ひつくり返つた状態であつた。

(五) 被害車は、本件事故により大破したが、車体の前半分が上から押し潰されたような、ぺしやんこになつた状態になつており、前部正面がその形状を止めず、左前側面はボデイが剥がれる等損傷も極めて酷い。後部にも右後部ランプ付近から中央部付近にかけて凹損が見られるが(乙六の<1>、<4>、<12>の各写真)、前部の損傷に比べるとその程度はさほどではない。

(六) 被告は、被告本人尋問において、加害車が被害車に追突したか否かとの質問に対し、追突した記憶はなく、その衝撃も感じていない旨供述する一方、同乗していた女性が警察官からの事情聴取に対し、バンパーがかすつたような気がすると話しているのを聞いているとも供述する。

以上の事実を総合すると、被害車は、時速約一〇〇キロメートルという速さと第一車線へのハンドルの切り方が急であつたことから、バランスを失い、横転しながら左側の防音壁に衝突して大破したと推認される。そして、第一車線から第二車線に車線変更する直前に、加害車の前部が被害車の後部に衝突したことは認められるものの、被害車が車線変更する直前まで加害車と同程度の速度で第二車線上を走行していたこと(両車両が同程度の速度である以上、被害車が後方から受ける衝突の衝撃はさほど強くないはずである。)、加害車の運転者である被告が被害車に追突した感覚はなく、同乗者は擦つた程度の感覚しか受けていないこと(被告本人尋問の結果。被告は、仮に本件事故に対する運転上の過失責任が肯定された場合でも、自身の経済的負担において賠償する必要はなく、専ら訴外会社が損害賠償責任を負担することになるのだから、被告は、ことさら虚偽の事実を述べて自身の過失責任を否定する必要はないことから、同供述は十分信用することができる。)に照らすと、その衝突は軽く擦つた程度に過ぎず、その衝撃の程度は極めて小さく、畔蒜の被害車の運転に対して与えた影響は、極めて軽微な程度に止まつていると推認することができる。

2  原告の主張に係る加害車の追突と本件事故

原告は、畔蒜が減速しながら、余裕をもつて第二車線から第一車線に車線変更し、本件交差点手前で停止しようとしたところを追突されたため、その衝撃で左側防音壁に衝突するに至つた旨主張し、それに沿う証拠として甲一〇(畔蒜の証人調書)、一四(吉田の陳述書)を提出するほか、吉田もそれに沿う証言をする。

しかしながら、(a)畔蒜は、公判における証人尋問で本件事故前の被告とのトラブルの存在を否定していながら(甲一〇の二三項)、吉田には、被害車の追越を巡つて加害車の破損等のトラブルがあつたことを話していることからすると、同人の供述自体が直ちに原告の右主張の根拠となるものではないこと、(b)加害車の破損を巡つて加害車が被害車を追跡し、被害車が逃走するように走行していたこと、両車両の速度が時速約一〇〇キロメートル程度であつたこと、頂上付近から本件交差点まで前記のとおり約一六〇メートルしかないことを勘案すると、新川大橋の頂上を越えた位置で前方のトラツクを発見し、本件交差点手前で停止するために第一車線への進路変更と停止措置を余裕を持つてなし得るとは考え難いこと、(c)被害車が衝突後完全にひっくり返つた状態となつており、同車両の損傷が車体の前部にほぼ集中し、後部の損傷に比べてその程度は著しいことからすると、被害車の損傷が、後方から追突されたために押し出された結果というよりはむしろ、自車の走行速度の勢いの強さゆえに生じたものと考えるのが合理的であること、(d)前記認定のとおり、加害車の被害車に対する追突の衝撃が軽微であり、他方、被害車の防音壁との衝突の衝撃の強さや車体の動きの大きさ(横転して完全にひっくり返つたこと)を勘案すると、被害車の後部の前記認定に係る損傷は、被害車による防音壁への衝突の衝撃に関連して発生したと考えられることの四つの点が指摘されるのであり、以上の点を勘案すると、本件事故の原因が専ら加害車の被害車に対する追突にあるとの原告の前記主張を認めるに足りる証拠はなく、前記主張を採用することはできない。

3  被告の責任とその割合

以上の事実によれば、本件事故の原因は、主として、畔蒜が前記予告信号の表示(赤色であつたと推認される。)を全く念頭に入れることなく、甚だしい速度超過の状態で運転していたこと、車線変更における同人のハンドル操作が不十分であつたことにあると認められる。他方、前記認定のとおり、加害車は、被害車の車線変更の直前に擦る程度の接触をしていることが認められ、それは多少なりとも被害車の運転に影響を与えた可能性があること、被害車が時速約一〇〇キロメートルもの速度で一般道路を走行する原因の一端が被告にもあること(被告は、被害車のナンバーを警察に届ければ足り、時速六〇キロメートルの速度規制を全く無視してまで追跡することは許容し難い。)を勘案すると、本件事故発生に対する被告の運転上の過失責任も否定し難いが、被害車の破損が主として畔蒜の前記運転上の過失に起因することを斟酌すると、その責任割合は、畔蒜九、被告一の割合とするのが相当である。

そして、畔蒜が本件事故当時原告の配下に属しており、原告は日常的に畔蒜を含む六人程度の弟分に被害車を運転・使用させていたこと、その運転・使用は専ら原告のために行われており、畔蒜等が私用に被害車を運転することはないこと、本件事故当時も原告の属する組の人間を乗せた帰り道であつたこと(甲一〇、一一)を斟酌すると、本件事故を引き起こした畔蒜の過失責任については、原告自身に負担させるのが衡平の理念に合致するものというべきであるから、原告の損害賠償請求に対しては、その損害額について前記畔蒜の過失割合である九割の過失相殺をするのが相当である。

4  原告の禁反言の主張

原告は、被告の過失相殺の主張は、別訴との関係で禁反言である旨主張するが、別訴は、原告と訴外会社が訴訟当事者となつているものであり、訴外会社の訴訟追行態度が本件訴訟における被告の訴訟活動には何ら影響を与えることはなく、右主張はその前提において失当である。

二  原告の損害額

1  車両損害 三五〇万円

前記のとおり被害車が大破したこと、甲一、三、一二によれば、被害車の本件事故時の時価が三五〇万円であることが認められる。

2  代車費用 認めない

被害車の損傷により、原告が代車を調達した事実があるのか、その事実があれば、使用期間はどの程度か、使用単価はいくらか等に関する具体的事実の主張、立証がなく、認められない。

3  レツカー代 認めない

原告がレツカー代を支払つたことを認めるに足りる証拠は全くなく、かえつて、甲二、甲一〇、一一によれば、同代金は原告ではなく畔蒜が支払つたことが認められる。

4  以上によれば、原告の損害として認められる金額は三五〇万円であるところ、前記認定に係る過失相殺をすると、三五万円となる。

三  弁済又は善意弁済について

1  被告は、畔蒜が、被害車に係る損害賠償請求に関する事務を、被害車の所有者である原告から委任されていた旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠は全くない。

2  また、被告は、畔蒜を前記事務に関する権限者であると信じたことにつき正当な理由がある旨主張する。

しかしながら、被告の損害賠償に関して代行する地位にあつた訴外会社の担当者である埜下は、被害車の登録名義がコツクフーズであると確知していたのであるから(甲一二、乙五)、コツクフーズとはいかなる会社なのか、同社と畔蒜との関係はどうなつているのかを調査し、コツクフーズが解散して、代表者等関係者の所在が不明であることを確認しているのであれば、畔蒜が被害車を運転することができるのはなぜか、真実の所有者は誰なのか、その入手経路はどうなつているのか等について畔蒜及びその関係者らから説明を求める等の調査を十全に行うべきであるところ、単に、被告の前記主張に係る畔蒜が被害車につき自動車保険契約を締結し、レツカー代を支払つたという事実等のみをもつて、畔蒜が被害車の所有者又は所有者から損害賠償に係る事務の委任を受けていた権限を有する者であると評価することは、交通事故に関する損害賠償事務を職業的かつ専門的に扱う訴外会社の担当者としては、到底、十分な注意義務を尽くした上での判断とは認め難く、被告の善意弁済に係る主張は失当であり、採用できない。

四  結論

以上によれば、原告は、被告に対し、三五万円の損害賠償請求をすることができる。

(裁判官 渡邉和義)

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